管理者は部門の長である。長であるからには責任が重いということとその部門の業務に精通しているはずである。精通していなくても最終の判断を下すのが当然であろう。判断をしない、または重要な業務を部下に任せていればそれは管理者としては失格である。失格でそれなりの懲罰があればいいのだがそのままにしておくとどうなるだろうか。まず、部門の士気が下がる。そして人が辞めていく。人の入れ替わりの激しい部門は間違いなく部門長が無能である。仕事が厳しいから辞めるというのはうそだといってもいい。昔、中国に人食い虎がいるのに村民が村を出て行かない、という話がある。それは領主がとても名君なので家族が虎に襲われた者でも残るという「悪政は虎より恐ろしい」というお話である。無能な管理者はやがてその部門を空っぽにするだろう。
# by ven01273 | 2005-05-24 12:10 | ことば
組織の運営でもっとも重要なのは管理者の選定である。業績はこれでほぼ決まるといって過言ではない。ではどんな管理者が良いのだろうか。その業務のベテランもいいだろう。少なくとも間違いなく部門を運営するだろう。しかし大きな改革や進歩は望めない。他の部門から選ぶのもいいだろう。今までその部門で起きていた問題点を客観的に見ているため大きな改善が行われることも期待できる。しかし慣れるまでは部門内で混乱が起きるし、部下に判断をさせることが多くなると士気に影響も出易い。ただ、自部門からであれ他部門からであれ、緊急の場合以外はいきなり管理者に抜擢してはいけない。ある程度の管理技術を身に付けさせてから管理者に任命しなければいけない。まず、いくつかの他部門での経験を積んでから最初の部門の管理者にすることだ。大会社といえるところは、できるだけこういう人事をしているが、小さな会社では人材不足気味なのと、即戦力を望むためこうしたスパイラルアップの組織作りが難しい傾向にある。しかし、だからこそこうしてマルチに活躍できる人材を養成して新しい発想から組織改革を進めることが企業発展のために必要なのだ。管理者の育成は企業にとって重要な人材教育なのである。
# by ven01273 | 2005-05-09 18:30 | 考察する
常に利益を出している会社が立派な会社ということではない。利益は操作すれば出る。会社を見るポイントがある。電話であれば応対の態度・言葉使い、長く待たせないかなど。実際に訪問したときは来客や納品者への案内が正しく分かり易いか、ゴミが落ちているのは論外としても見た感じ整理整頓されているか、トイレはきれいか、灰皿がいっぱいでないかなど。特に笠立を見て、晴れた日も一杯であれば管理部門が何も見ていないことになる。あとは社員の姿が経営者のバロメータとも言える。みんな暗い顔でうつむき加減でポケットに手を入れて歩いていれば、間違いなく業績も悪く、もっとも大事なリソースである人材に何の教育もしていないことがよく分かる。その上経営者の部屋だけが立派であれば申し分なく将来性は無い。ある大手の電機会社の工場を訪問したとき、外観は昔の木造でペンキできれいにしてはいたが、いかにも旧さを感じる建物であった。ところが一歩中に入ると、最新の空調などをいれ設備・什器なども最新のものであった。これこそ経営者の姿勢を如実に示す立派な会社だといえる。
# by ven01273 | 2005-05-06 18:03 | 考察する
経営者が十分に責任を果たしているかどうかは会社のリソースを見ればすぐに分かる。いわゆる人・物・金・だ。優秀な人材が多くいるか、設備は過不足なくあるか、資金繰りはうまく行っているか、など。しかし多くの経営者は最後の資金面だけに大半の精力を使う。それはそうだ、どうやって支払いをするのか、給与を払わなくてもいいのか、という声が聞こえてくる。そして経営者からそういう声が出るようでは会社の将来もそう永くないだろう。そのような状況になったのは、そうなるまでに人材を育てず設備投資も十分にしなかった結果なのだ。経営に必要なリソースを準備しなかった結果、業績が悪くなったのだからその責任は経営者にあることを認識するべきだ。そして責任を感じたらアイアコッカではないけれど自分の報酬を下げなさい。それで最低の責任は果たしたことにはなる。
# by ven01273 | 2005-05-02 16:06 | 考察する
実は中小企業の社長にも言い分はある。「誰か代わってくれるものなら喜んで代わるよ。家屋敷も担保にして借金しているし、せっかく育てた社員は大手の会社に転職してしまうし。」なるほど同情の余地はある。しかしあなたは経営者なのだ。同列にするのは申し訳ないが昔フォードを追われるようにして当時瀕死状態だったクライスラーの社長になったアイアコッカは、会社が黒字になるまで自分の年俸を1ドルとした。背水の陣だということを社員に示し、株主にも自分の決意を見せつけたのだ。もちろん彼にはさまざまな収入の道もあっただろうから生活に困るわけではない。しかしその心意気が社員の気持ちをつかむのだ。たとえ年俸を下げられても、もう誰も文句は言わないだろう。社長が1ドルならまだ俺の方がましだな、と。そして、今度の社長は自分のためではなく会社のために働こうとしている。なら俺だって、と。トップが私利私欲を捨てたことで組織を1つのベクトルに向けることに成功したのだ。その結果クライスラーは黒字に転換できた。そのときアイアコッカはたっぷりと報酬を得た。これが本当の経営者であり本当の経営責任なのだ。
# by ven01273 | 2005-04-25 11:46 | 考察する
社長は偉い。なれるものなら自分もなりたい。サラリーマンなら当然そう思っている。ではなぜ偉いのか。もちろん一番責任が重いからだ。これは社長に限らずトップマネジメントはみなそうだ。では責任とは何だろう。組織を安定して運営し且つその組織力を強く大きくして十分に組織の目的を達成すること、といえるだろう。ではその目的が果たせなかったときはどのようにして責任を果たすのか。船長は船と運命を共にするという。軍隊でもおおむねそうであろう。だから部下は命を懸けて組織のために働くのだ。では社長はどうか。上場会社の社長は赤字が続くと辞任するだろう。経営陣も刷新されるだろう。問題は非上場の中小企業の社長さんに多く見られる。彼らの多くは首にならないからすべての責任を社員のせいにする。業績をすべて社員の働きが悪いことにしてリストラしたり減給したりする。するとまじめに仕事をしていた社員はやる気をなくし辞めていく。人が減ると人件費が下がるので少し業績が持ち直す。そしてまた新たに社員を入れる。この繰り返しを進めていくうちにそれまで会社を支えてきたベテラン社員が減っていき製品やサービスの質が下がる。そしていつかは倒産という事態に陥るのだ。こういう社長でも偉いのだろうか。
# by ven01273 | 2005-04-24 16:44 | 考察する
りんごの落ちるのを見てニュートンが万有引力を発見した、というのは有名な話だがもう少し詳しい話を読んだことがある。ニュートンはりんごが落ちるのを見て、もっと高い木だったらどうだろうかと考えた。もちろんりんごは落ちてくるだろう。じゃあの山の高さなら。それでも落ちるだろう。こうして上を見上げたニュートンは「じゃ、なぜ月は落ちてこないのだ」と考えた、というものだ。これはよくできたお話で、もしかしたら後でできた作り話かもしれない。しかし、この考え方は日ごろ体験していることの本質を見極めるのにとても役に立つ。会社で部下でない人に仕事を頼んだ場合、たとえそれがその人の業務であっても「今忙しい」と断られることがある。じゃ自分より上位の役職から頼んだらどうなんだろうと思う。課長なら、部長なら、いや社長でも断るだろうか。ただ、これにはもう1つの考え方もあり、社長まで出てくるのは緊急の場合だからこれは最優先である、というものだ。しかしひどい場合はおじさんが頼んで「No!」の場合でも、きれいなおねえさんが頼むと忙しいはずの人が「Yes!」になることも多い。社会や会社で通じる法則は自然の法則より厳しい、ということなのだ。試しに社長からの頼みを「今忙しい」と断れば社会のいや会社の法則がすぐに分かるだろう。
# by ven01273 | 2005-04-23 19:23 | 考察する
趣味のブログもあるのですが、日ごろ感じたことを忌憚無く発言するためにexciteの場をお借りすることにしました。URLのdokosanは尊敬する土光敏夫さんから、種々の言葉とは芥川龍之介の「侏儒の言葉」を借りたものです。とてもお二人には及ぶべくもありませんが、土光さんの生き方と芥川のまっすぐな眼力を尊敬しています。
# by ven01273 | 2005-04-23 17:03 | 日記
< 前のページ 次のページ >